「感謝中国養父母」――藤原充子弁護士(七九)がこの夏、旧満州に建てた石碑の裏に彫った文字だ。表は「日中友好・平和の礎」。 藤原さんは、帰国から時が経ち高齢になった中国残留日本人孤児たちが国家賠償を求めた集団訴訟で、高知弁護団の団長を務めた。昨夏、残留孤児への新たな支援策を国が決め、訴訟取下げ(実質は和解)で裁判が終結したのを機に、碑の建立を思い立った。旧満州で亡くなった開拓団の人々を慰霊し、日本人の子供を育ててくれた中国人養父母に対する感謝の気持ちをどうしても何らかの形で残したかったという。「でも、どこにどうやって建てればいいかわからない。異国の地で本当にできるのかなと思いました」と語る藤原さんが相談したのは、約二千百人の全国原告団をまとめた東京原告団代表の池田澄江さん(六三)。「原告番号一番」の人である。 小学二年生になるまで自分が日本人であることさえ知らずに、中国東北部の黒龍江省牡丹江市で中国人の養父母に育てられた池田さんが、苦労の末に母国にたどりついたのは一九八一年、三十六歳の時のことだった。その池田さんが中国時代の同級生のつてを頼って場所探しをした結果、地元当局の協力をとりつけたのが、ウスリー川をはさんで対岸にロシアの監視塔が見える国境の町、同省虎林市虎頭にある高台の友好公園だった。

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