繋ってしまった世界同時革命とはこれか

執筆者:徳岡孝夫2008年11月号

 一九八六年にソ連(当時)の原子力発電所の炉一基が爆発し、放射性ある「死の灰」を大気中に撒きちらした。日本にも一部が降った。その日まで日本人は、チェルノブイリなんて地名、見たことも聞いたこともなかった。ソ連政府が発電所の存在を機密にしていたので、地図にも出ていなかった。 もし地球上の陸という陸に降り積ったらどうしよう。地上に生える物はすべて汚染され、海の魚も汚れ、全人類が死んでいくではないか。生きている幸せも、もはやこれまで。人類は死刑執行人チェルノブイリの手にかかって死に絶える。どんな顔したヤツが犯人か、見当もつかないが、生きていた人間は、運命が否応なくチェルノブイリという未知の土地に繋っているのを知った。 当時はまだ流行語になっていなかったが、いまでは誰でも、未知の地や人と繋っていることを不思議だと思わない。行ったこともない中国の石家荘という未知の町で製造・包装されたギョーザを、千葉の幼女は食べて意識不明になる。いまじゃそれを一言でグローバリゼーションと呼ぶようになった。 ヨーロッパの北の端、フィンランドの南西部に、カウハヨキという小さい町がある。そこの職業訓練校で、生徒の一人(二二)が銃を乱射し、同級生九人と教師一人を殺し、最後に自殺した。米国の専売特許かと思っていた学園での銃乱射が、さほど苦労もなさそうな北欧の国に、思いがけず飛び火した。調理科の生徒だというから、まあコック見習いに近い。

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