少子高齢化による社会保障費の負担増に苦しんでいると、「ベビーブーム」という言葉に強い憧れを感じてしまう。元気な赤ん坊の泣き声が街に溢れれば、人も経済も活気づくような気がするからだ。 ところが、第二次大戦終結直後の一九四七年から始まった第一次ベビーブームは、日本の戦後復興のスピードを遅れさせる要因ともなった。第二次大戦によって国内では全家屋の二割が空襲で破壊され、四七年時点で四百万世帯が焼け跡でバラック生活を続けていた。そこに国外から大勢の引き揚げ者と復員兵が戻って来て、出生率は急激に上昇する。四七―四九年の三年間には八百万人もの子どもが生まれ、日々の食糧にさえ事欠いていた大人たちは、この先どうやって乳飲み子を養えばいいのか途方に暮れた。 四八年に「優生保護法」が施行され、翌年の改正によって日本が世界で初めて社会経済的理由の人工妊娠中絶を合法化した国となったのには、こうした切羽詰まった理由があった。その一方、日本はピル(経口避妊薬)の使用が九九年まで許されず、その後もあまり普及していない。宗教的制約がほとんどなかったという事情は別にしても、なぜ母体への影響が大きい中絶が優先され、避妊が忌避されてきたのか?

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