その男は、弟子が作った模型を不機嫌そうに眺める。そして次の瞬間、右の拳でその模型を叩き潰した。「作り直せ、今晩徹夜でやれ!」 模型は細部に正確さを欠いていた。「どう見ても手抜きだろう! おれは手抜きが嫌いなんだ!」 安藤忠雄氏の仕事ぶりを追った、一九八六年放送の「ドキュメンタリー『家』」の一場面。十一月には関西テレビの五十周年記念番組として再放送された。 東京六本木で開かれた建築展でのトークイベントの後、この番組について聞くと、安藤氏はつまらなさそうにこう答えた。「あのくらい普通ですよ。本当はあのあとどついてるんですが、番組ではカットでしたね」 本書『建築家 安藤忠雄』は安藤氏初の本格的自伝である。 大阪の工業高校に通う傍ら、十七歳でプロボクサーに。当時、ボクシング界のスターだったファイティング原田のスパーリングを目の当たりにして、次元の違いを思い知らされボクサーの道を断念。その後、世界中を旅し、独学で建築を学ぶ。一九六九年、二十八歳のときに安藤忠雄建築研究所を設立した。 出世作は「住吉の長屋」。間口二間、奥行き八間のコンクリートの箱の家。入り口以外には開口部がなく、夏は暑く冬は寒い。「自然と共生」する新しい生活像を提案したものだったが、七九年の日本建築学会賞を受賞するも、「決して一般解とはならない家」と但し書きが付いた。

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