あのピカソが衣装、舞台美術を手がけたバレエが、オリジナル通りにパリで再演されたのを見る機会があった。演目はエリック・サティ作曲、ジャン・コクトー台本の「パラード」。見世物小屋でサーカスの馬や手品師などが次々と芸を披露するという、たわいのない内容だが、ピカソの色彩と造形が「飛び出す絵本」のように際立っていた。初演当時は第一次大戦中だったために「非国民的だ」と大スキャンダルになった作品だ。舞台とは何の縁もなく、アトリエの中でひとり孤独に制作に打ち込む画家を、「舞台」という集団生活に無理やり引っ張りこんだのはコクトーだった。 二人が出会ったのは、ピカソが「アヴィニョンの娘たち」を描いた八年後。カップに残った紅茶が二時間で凍ってしまうような寒い部屋で、一枚しかなかった真っ青なシャツをパステルカラーになるまで洗いざらして着ていたというピカソの、貧しい暮らしは少しずつ過去のものになり、ピカソは成功への階段を上ろうとしていた。 パリ育ちのお坊ちゃまで、才気煥発だけれども、マザコンで線が細い印象のコクトーの誘いを、正反対のタイプで、旅行嫌いのピカソが、なぜ受けることになったのかは判らない。「バレエを一緒に作りたいから、『ロシア・バレエ団』を主宰しているディアギレフという男に会うために、ローマに一緒に行こう」というコクトーの誘いを、ピカソは周囲の予想を裏切って受けたのだった。

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