『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)塩野七生著(新潮社刊。上巻は発売中。下巻は1月30日発売) 作家・塩野七生は冒険家である。学者が決して手を出さない、いや手を出せない歴史の領域に果敢に挑み、研ぎ澄まされた現代感覚で、歴史の鼓動に耳を傾ける。古代、中世、近世の歴史空間を縦横無尽に遊泳し、文明史と人類史のドラマを次々と発見していく。それは、歴史の空白を埋める途方もない作業に取り組んでいるようにも見える。イタリアで封印されてきた膨大な古文書を永い眠りから覚醒させ、荘厳なキリスト教会の壁画に目を凝らし、強烈な太陽の光を浴びる中世の遺跡に問いかけることで、中世を現代に引き戻す冒険の航海に出た――それが本書『ローマ亡き後の地中海世界』である。 ローマ帝国の崩壊後の地中海世界に、塩野七生はキリスト教徒とイスラム海賊の覇権闘争と、異教徒同士のごく限られた奇跡的な「共生」とを見出した。その共生は、道徳心や理想論から実現したのではなく、あくまでもリアリズムに徹した利害調整の賜物であったことを、本書は読者に突きつける。 欧州を切り裂いたナポレオン戦争が終焉を迎えようとしていた十九世紀初頭、英国の詩人バイロンが、長編叙事詩『コルセア(海賊)』を発表した。主人公の海賊コンラッドが、愛する妻をギリシャの海賊島に残して、トルコのイスラム教徒を襲撃し、ハーレムに囚われの身となっていた美しい女奴隷を救出する物語だ。ここに描かれたのは、ロマンチシズムに裏打ちされた幻想の世界であって、塩野七生が透徹した眼差しで追い求めたリアリズムの地中海世界ではなかった。バイロンの甘美な叙事詩を本物の「歴史エッセイ」で打ち砕いてみせたのが本書だ。

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。