ソ連邦の崩壊から十八年が経過した。世界的な資金凍結の影響をまともにかぶるロシアをモスクワで観察した限り、新旧の勢力が入り混じりながら、次のロシア社会に関する展望力を競う知的認識のせめぎあいが始まったように思われた。 一つの体制の崩壊とその後の社会の激変にもかかわらず、一人ひとりの社会の担い手にとっては生活の連続性がある。身に古い時代の刻印を帯びたまま、ひたすら新しい時代にもぐり込もうとする人間の行為があったとしても不思議ではない。 私は日本の敗戦から十八年目に大学生になった。戦後も、根っ子のところでそれ以前と濃密につながる社会基盤があり、他方でこれとまったく異なる民主化をめぐる言論空間があった。古い世代の一部は現実との接点の作り方に苦心惨憺だった。 十八年がたっても「悔い改めない戦中派」がいたことは明らかだ。革命後の十八世紀終盤のフランスやワイマール時代のドイツに、王はなくとも王党派が基盤を維持していたことは広く知られている。敗戦後の日本にも、戦い足りなかったとの認識を持ち続けた人々がいた。彼らの多くは、敗戦から五年後には公職追放解除となった。そして保守政党の党内に入り込む人も少なくなかった。「何ものも忘れず、何ものも学ばず」という批判対象を、当時の学生たちは支配政党の内部に容易に見いだすことができた。「保守反動」という彼らについての呼称は、ひどく時代がかったものを一括して扱うことばとして、感情を込めて使用されたものだ。今日のロシア社会にこれに相当する「悔い改めない」勢力を見いだすことも可能だ。これを現代ロシアの第一類型と呼ぶことにしよう。

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