小沢一郎よ、大政治家なら引き際を知れ

執筆者:屋山太郎2009年4月号

次期首相のはずだった男が絶体絶命の危機に陥った。「小沢一郎」とは何だったのか。そして彼は今、何をなすべきなのか。 公設第一秘書が逮捕された民主党の小沢一郎代表は、直後の記者会見で検察批判を繰り返した。 明治以来終戦まで、日本には四十二代、二十九人の首相が出たが、選挙で選ばれた民選議員の首相は原敬、浜口雄幸、犬養毅の三人のみ。この三人とも証拠のないスキャンダルを流され、最後にはテロで暗殺された。 小沢氏はこれまで官僚内閣制の打破を標榜してきた政治家で、今でも会話の中では「大蔵(現財務省)支配の打破」という言葉が頻繁に登場するという。現在、公務員制度改革は足踏みしており、麻生政権下での改革の進展は覚束ない。もし、小沢氏が首相になれば、徹底的な公務員制度改革を断行したはずだ。しかし、その矢先の暗転。行政機関の一端である検察による秘書逮捕で、小沢氏が検察を「国策捜査だ」と批判をした気持ちもわかる気がする。安保論争をどう見るか 私はかねてから、日本の政治を変えるためには、明治以来続く、「官僚内閣制」を壊さなければならないと考えてきた。 なぜ日本の政治は官僚に壟断されてきたのか。歴史をさかのぼれば、選挙制度と密接な関係がある。明治憲法が発布されたのは明治二十二年で、当時の黒田清隆首相は、「政府は政党の外に立ち……超然として政治を行なう」と宣言した。議会や政党の存在や主張を無視する「超然内閣」だ。当初は小選挙区制だったが、明治三十三年には一区三十人の、当選議員の所属政党が七つか八つになる大選挙区制に変更。明治政府はまず政策を立案し、それに賛成する政党を集め連立与党とした。大正十四年に一選挙区三―五人の中選挙区制に切り替わったが、官僚が与党を作る、コントロールするというメカニズムは変わらず、それは新憲法になっても基本的には変わらず続いている。

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