泥沼に嵌ったタイ「対立」の深い根

執筆者:南部正2009年6月号

空港占拠に首都騒乱。タイの国際的信用は今や地に堕ちた。二つに分断された国民にとって、唯一の希望は国王なのだが……。[バンコク発]怒りで興奮した赤シャツの群衆が会議場の入り口に押し寄せる。兵士らはこれを必死に押し戻そうとするが力なく追いつめられる。その圧力にこらえ切れずに粉々に破裂する玄関ホールの強化ガラス。赤い軍団はそこから大挙してなだれ込み、「アピシット、オークパイ(出て行け)!」と叫びながら会場を練り歩いた。 四月十一日、東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本、中国、韓国などの首脳が集まり会議を開くはずだったタイ中部パタヤのホテルに、シンボルカラーの赤いシャツを着たタクシン元首相支持派のデモ隊が乱入した。これを受け一連のASEAN関連会議は中止が決定。この瞬間、デモ隊は「過激犯罪集団」となった。 現アピシット政権の退陣と議会解散・総選挙を求めてデモ活動を先導したタクシン派の反政府団体「反独裁民主同盟(UDD)」は、翌十二日から首都バンコクで過激な抗議行動を展開した。閣僚らの車を襲い、バンコク中心部の主要交差点を占拠し、都バスを奪って燃やし、警察や軍の治安部隊に石や火炎瓶を投げた。アピシット首相は同日、バンコクと周辺五県に非常事態を宣言。それまでの「武器不使用」の方針を取り下げ、催涙ガスなどでデモ隊に応酬し、陸軍を中心に事態鎮圧を図った。デモ隊は軍によって追い込まれ、十四日午前までに“最後の砦”としていた首相府周辺の集会場所に移動して最終決戦を覚悟した。一触即発の緊迫感が張り詰めた正午前、デモ隊リーダーらが「参加者の安全を守る」としてデモの即時中止を決定。流血の事態はぎりぎりで回避された。

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