イラン大統領選「ムサビ支持票」の行き場

執筆者:池滝和秀2009年7月号

[テヘラン発]破壊されたバス停。焼け焦げた金融機関や大学の学生寮。そして散乱する薬莢――。六月十二日に行なわれたイラン大統領選挙で、保守強硬派のアフマディネジャド大統領が改革派のムサビ元首相をダブルスコアで下したと発表されると、テヘラン市内で若者たちの怒りが大規模デモとなって爆発した。 選挙戦は一九七九年のイスラム革命以来の熱狂を見せた。街にはムサビ陣営のシンボルカラーである緑色があふれ、「緑の革命」とも呼ばれた。支持者の多くがムサビ氏の勝利か、少なくとも決選投票にもつれ込む接戦を予想していただけに、結果発表に「不正」のにおいを嗅いでいた。 支持層はくっきり分かれた。アフマディネジャド大統領の支持者は、失業者や生活苦にあえぐ労働者、真っ黒なイスラムの伝統衣装チャドルを身にまとった保守的な女性などが中心。これに対してムサビ氏の支持者は、大学生や知識階級、商店主など社会的に安定している人たちだ。特に熱狂的な支持を寄せたのは、ジーパンにTシャツといった姿の若者である。女性の多くも強制されているスカーフを頭頂部付近までずらし金髪に染め上げた髪をアピールしていた。 革命後の八〇年代に首相を務めたムサビ氏は、アフマディネジャド体制の政治に危機感を抱き、表舞台に舞い戻ってきた。とはいえ、首相時代の手堅い経済手腕を知る中年以上の層はともかく、若者の間では当初知名度は低かった。

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