「返還後十年」を迎えるマカオの憂鬱

執筆者:野嶋剛2009年7月号

中国マネーの受け皿として急成長を続けてきたマカオ。それゆえに流れ込む大量の「身元不明」資金が演出する繁栄の陰に――。[マカオ発]この世にマカオを嫌いな人がいるのだろうか。中国南部の大河、珠江がはき出す泥砂の混ざった茶褐色の海水を見ながらフェリーでマカオを離れるたびに、そう思う。二十年前の香港留学時代に気に入って以来、訪ねた回数は仕事を含めれば三十回にも達するだろうか。 マカオは広東省の珠江河口に突きだした半島部分と二つの島からなる。面積は東京都世田谷区の半分程度。ごつごつした岩山と坂道だらけの土地に、複雑な歴史と政治を抱え込み、富と欲を吸い尽くして人々を飽きさせない街だ。 漢字では「澳門」と書く。十六世紀に、中国大陸で最初の欧米人居住地として、ポルトガルが居住権を獲得。ゴアやマラッカと並ぶ東アジアでの貿易・軍事の拠点とした。鉄砲やキリスト教、カステラなど、ポルトガル人が中世の日本に持ち込んだものの多くがマカオ経由であった可能性は高い。アヘン戦争で一時荒廃したが、急速にカジノ産業が発達し、孫文らによる近代中国革命の拠点ともなった。そして、ちょうど十年前の一九九九年に中国に返還され、アジアで欧米列強が最後に手放した植民地として歴史に名を刻んだ。

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