「一人の記者が出会ったのは、視覚と聴覚の両方を失って自殺まで考えながらも、絶望から立ち直って東大教授となった『明るい盲聾者』福島智。その魅力と壮絶な生き方に惹かれ、四年の歳月をかけて取材・執筆した渾身の一冊」――というのが書評らしい書き方かもしれない。もちろん、それも真実である。だが、私はこの本から別のメッセージを読み取った気がする。 福島氏は、実は私にとって盲学校の先輩に当たり、氏が失聴した前後に同じ校内で生活した経験がある。著者、生井久美子は『ゆびさきの宇宙 福島智・盲ろうを生きて』の中で、福島氏が「羽をもがれるようにして、光と音を失って育つ」と書いているが、右目、左目、聴力のうち三番目の羽を奪われる前と、奪われた直後の福島氏を、私は鮮明に記憶している。 福島先輩はバレーボールの名手でもあり、あるとき「トム、行け!」という級友の応援に送られてコートに入るところに出会った。思わず「外国の方なんですか」と尋ねると、「そうだよ、アメリカ人だぞー」という友達を「こら、信じちゃうじゃないか」と福島氏がたしなめた。そして「智だからトムなんだよ」と正解を教えてくれた。 その後しばらくして、先輩が聴力を失ったと先生から話があった。校内では鈴を付けて歩いてもらうから、鈴が聞こえたら避けてくださいと指導された。ドキドキしながら廊下を歩いていたら、ある日その鈴が聞こえた。先輩、大丈夫かな? 「暖かい視線」の代わりに「がんばってください」のテレパシーを送りながらそっと避けた。するとすれ違う瞬間「角を曲がって、ドアを通って」というようなつぶやきが聞こえた。そうか、こうして手で触れた情報を言葉に置き換えて、再度インプットしておられるんだ! と、衝撃とともに思ったものである。

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