「改革を唱えた保守派」トウ小平の功と罪

執筆者:藤田洋毅2009年7月号

確かにこの男は、十数億の中国人民に食べるすべを与えた。功績大。だが、その過ちもまた大きく、今日に矛盾を残す。 新中国を打ち立てた革命元勲の家族らが集うパーティーで、話題が夏の海水浴に及んだ時だった。年長の男性が初対面の婦人に話しかけた。「私は九十号楼△でした。お宅は?」「あなたは△政治局員のご家族ですか。私は八十×号です」「×元帥のご一家のかたですね」――互いの素性を建物の番号だけで即座に把握する場面に筆者は出くわしたのだ。毛沢東時代から指導者は、夏には風光明媚な別荘地、河北省北戴河へ出かけ、そこで政務もこなしたため、北戴河は「夏都」や「小中南海」と呼ばれた。かつてはどの楼(棟)に誰が滞在するか決まっていた。ソ連崩壊を決定的にした一九九一年八月十九日の「八一九事変」当日も、※トウ小平前党中央軍事委員会主席(肩書きは当時、また※は物故者=六月十二日現在=を示す。以下同)は、自分の別荘の前の砂浜から海に入り、日課の昼食前の水泳を悠然とこなした。最後の政治決戦に向け体調を整えていたのだろう。 行政区画上は河北省秦皇島市の一区にすぎない北戴河には、国務院(中央政府)各部や大型国営企業などの別荘が軒を連ね、海水浴客でごった返す。そんな人混みをよそに静寂を保つ広大な一角が市街地の南西にある。南は渤海に臨む砂浜、北は小高い丘のような聯峰山に挟まれ、二百余棟が並ぶ党中央直属機関療養院、通称「中直療養院」だ。この一帯には特別通行許可証がないと近づけない。指導者の滞在中はとりわけ警備が厳重で、直結する道は封鎖となる。敷地外には公安(警察)が、裏山や別荘内には武装警察が配され、さらに要人警護の最精鋭部隊、党中央弁公庁警衛局(通称八三四一団)が展開し、高官の乗る高級車ですらトランクの中まで検査する物々しさだ。

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