中台関係改善で福建省に発展の芽

執筆者:八ツ井琢磨2009年7月号

 三十年前に始まった中国の改革・開放。広東省と共にその先導役を期待されたのが福建省だ。一九八〇年八月に正式発足した経済特区は広東省の三カ所(深セン、珠海、汕頭)のほか、福建省アモイにも置かれ、広東省は隣接する香港から、福建省は対岸の台湾からの資本導入が図られた。しかしその後、福建省は沿岸部の他の地域に遅れをとり、二〇〇八年の一人当たり域内総生産(GDP)は江蘇省や広東省の八割程度にとどまる。 発展が遅れた原因の一つは、台湾資本の受け入れがさほど進まなかったためだ。台湾当局の統計によれば、台湾から中国への累計投資額に占める福建省のシェアは七%に過ぎず、江蘇省(三三%)や広東省(二四%)を大きく下回る。福建省では鉄道や道路などの建設が遅れたほか、中台間の「三通」(通航、通信、通商)が進まなかったため、香港などを経由しなければならない不便さがあった。 しかし、台湾の馬英九総統就任に伴う中台関係改善で状況は大きく変わった。台湾と福建省の間には直行便が開設されたほか、同省沖の金門島経由で往来するルートも定着。さらに、中国国務院(中央政府)は五月半ば、福建省一帯を「海峡西岸経済区」と位置付け、インフラ整備を加速させるとともに、台湾企業進出を優遇する内容の政策文書を発表。福建省は一躍、中台経済交流の最前線に立つことになった。

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