日本 「言語政策」なき英語教育と現場の困惑

執筆者:草生亜紀子2009年8月号

「ベリーグッドだねー」 東京都内のある公立中学一年生の英語の授業を参観した。些細なことかもしれない。だが「ベリーグッド」と英語で言い切るのでなく、「だねー」と加えたところに、「英語を話す」ことに対する教師の照れが見えた。英語の必修化が決まり、にわかに英語を教えることになった小学校の「素人」英語教師ではない。大学で英語を専攻したプロが英語を話すことに照れていて、生徒が英語を使うようになるものだろうか。 どうすれば英語を使えるようになるのか――日常生活で英語を使う必然性のない日本で、これは「永遠の課題」かもしれない。「国としての言語政策がない。文部科学省にも方針がない」と断じるのは、国際教養大学の中嶋嶺雄学長だ。長年、現場で英語を教えると同時に英語教師の技量向上に尽力してきた東京都中学校英語教育研究会(中英研)元会長の長江宏・清泉女学院短大元副学長も同意見で、言語政策の欠如こそが最大の問題だと語る。 この数年だけでも国の姿勢は揺れた。二〇〇〇年、小渕恵三首相の私的諮問機関である「二十一世紀日本の構想」懇談会が、「国際共通語としての英語を使いこなせること」を目標に挙げた。懇談会メンバーだった船橋洋一・朝日新聞主筆が『あえて英語公用語論』を上梓したこともあり、英語教育論議は盛り上がった。

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