十八世紀のヨーロッパにおいて、人間学があらゆる学問の基礎になると強く主張したのは、イギリスの哲学者デイビッド・ヒューム(一七一一―七六)である。 ヒュームは、人間界についてはもちろん、自然界についても、それを知覚し理解するのは人間なのであるから、私たちはまず「人間とは何か」ということから考察しなくてはならないと考えた。そして、人間は、聖書に即して神秘的に理解されるのではなく、ニュートンの方法、すなわち経験と観察を通じて理解されるべきだと考えた。彼の『人間本性論』(一七三九―四〇)は、こうした目的と方法にもとづいて書かれた人間学の金字塔である。『人間本性論』は、「知性について」「情緒について」「道徳について」の三編からなる。最初の二編は、個人がどのようにして外的世界を理解するか、そして個人のさまざまな情緒はどのような知覚の仕組みを通じて形成されるのかを扱う。一方、第三編では、人間が社会秩序をどのようにして形成するかという問題を扱う。 人間は自分の安全を守りたいという利己的な動機から社会を形成し、他人の生命や財産を侵害しないかわりに自分の生命や財産も侵害させないという「黙約」をとり結ぶ。この黙約を基礎に「正義の規則」が樹立され、さらに、正義の規則の侵犯によって引き起こされる被害者の憤慨に人びとが共感することによって、正義は守るべき「徳」となる。こうして社会秩序が形成される。

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