「キング・オブ・ポップ」の死

執筆者:名越健郎2009年9月号

 1984年、バンコクのカフェで、マイケル・ジャクソンのミュージックビデオ「スリラー」が上映された時、タイの若者が戦慄し、総立ちになったのを覚えている。狼男に変身したり、ゾンビと踊る奇抜さ、歌や踊りの卓越した娯楽性に、世界的エンターテイナーの登場を実感した。 当時はレーガン大統領がベトナム戦争後遺症を克服し、「強いアメリカ」を志向していた時期。マイケル・ジャクソンは米国の復活を後押しした。同年にはホワイトハウスを訪れ、レーガンと会見。レーガンは日記に「シャイな青年」と書いた。 だが、少年への性的虐待疑惑、度重なる整形疑惑、多くのゴシップや多額の借金など、「キング・オブ・ポップ」はスキャンダルでもスーパースターだった。6月25日の衝撃的な死のあと、様々な“マイケル伝説”がネットを賑わせた。 問 マイケル・ジャクソンと元セクシー女優のファラ・フォーセットが同じ日に亡くなったのはなぜか? 答 マイケルが、「白人女性の死」のニュースをファラ・フォーセットに独占させたくなかったからだ。 マイケル・ジャクソンが天国の門を叩くと、神がM.J.のCDを聞きながら出てきた。「You are“BAD”」「Beat It」(出て行け!)

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