トップ記事と無視 船員とダライ・ラマの差

執筆者:徳岡孝夫2009年12月号

 日々の退屈なニュースの中に、想像もできない宝石が混っている。虚構を扱う小説家なら、「あ、これは奇想天外すぎるわ」と捨てたであろう筋書が、現実の世界にある。私は八丈島沖から生還した三人の漁船員の話を新聞で読んで、ほとほと感心した。小説より奇なりとはこれか、と思った。 海は時化ていた。八人が乗った漁船は転覆した。 調理室の大型冷蔵庫が倒れ、外開きドアを塞いだ。三人は居住区に閉じ込められた。船長と先に出た四人は、一瞬の差で「生」をつかんだはずだった。台風二十号が来て、現場海域を通って去った。捜索は一時中断。四日目、九十時間。家族は、もうダメだと覚悟した。 船は上下が天地返しになり、出口はないだろう。飲み水も食糧もない。何より酸素がない。船に残った者は水牢の中で徐々に息絶えていくだろうと、誰もが思った。 いや生存の望みはある、と学者は言った。人の吐く息の二酸化炭素は、足元の海水に溶けやすい。海が荒れたため大量の泡が発生し、それが酸素を船内に運び込むであろう云々。だが本当だろうか? 泡が入るなら海水も入っていくんじゃないか? 九十時間後に巡視船が船体を見つけた。乗り移った潜水士がコツコツと船底を叩くと、中から応答があった。「どこにいる?」「何人?」「三人」。声が通じた。潜水士六人が船内に入り、三人に空気タンクのレギュレーターをくわえさせ、六人がかりでリレーして一人ずつ海面に出した。三人は、船体最下部(転覆して最上部になった)の狭い空間に体を寄せて寝ていた。酸素は、どこからか入ってきた。船腹を通じて外の明暗が見え、昼夜が識別できた。三人とも元気だった。

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