大作家が断行したフランスの「芸術仕分け」

執筆者:大野ゆり子2010年1月号

 久しぶりの東京で飲みに行ったときのこと。ちょうど世間では「事業仕分け」の風が吹き荒れていた。夫と、夫の飲み友達で日本を代表する作家は、外国に行った折の話に花を咲かせていた。外国で遭遇した忘れがたい経験、人々。尽きせぬ話の中で、ふと、両者とも今回見直しの対象となった「芸術家の国際交流事業」によって、海外で見聞を広めたことがわかった。 夫の場合は、行政刷新会議で約七億円の予算額が問題視された「新進芸術家の海外研修」によってミュンヘンのバイエルン国立歌劇場で研修した。若い指揮者は、若い故に指揮経験がなく、経験がないからさらに機会が与えられないという、堂々めぐりに悩む。バイオリニストやピアニストならば、十代初めでもプロとして活躍し、収入を得ることも可能だろう。指揮者の場合には、そうはいかない。 夫にとって、この海外研修は、扉を世界に開いてくれた大きなチャンスだった。毎日朝から晩まで劇場に出かけ、日本にいたとしたら夢の存在だった大指揮者に、練習を見せてくださいと頼みこむ。職人が師匠の技を盗み見ながら覚えていくように、指揮者も大マエストロのやり方を、まずは真似てみるものだそうだ。 文化庁からの義務は三カ月ごとに一、二枚の報告書を出すのみ。あとは自由に時間が使え、劇場の中で見るもの聴くもの全てを、ただただ、吸い取り紙のように吸収していった日々。自分の原点は、あの時代にあると夫は断言する。

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