アメリカの知的システムの強さと陥穽

執筆者:池内恵2010年2月号

 三カ月のワシントンDC滞在を終えて帰国した。ワシントンは政治・外交に特化した街で、人に会うにも、様々な催しに参加するにも、時間のロスがない。一年ぐらい滞在した気分である。アメリカはしばしばその「光と影」を論じられるように、燦然と輝く部分と、深く暗い闇の落差が激しい。滞在中に改革法案が上下両院で通過した医療保険制度などは影の面の最たるものだ。 研究・教育にしても、米国は独特の落差を抱え込んでいる。昨年十二月号の本連載で報告したように、ワシントンに集まる政治・外交シンクタンクや財団、大学の研究所に集まってくる国際政治・外交の情報量は著しく、議論の展開も早い。 単に大学やシンクタンクという「箱」を作れば活発な議論や高度な研究が生まれるわけではない。そこに有能な人材が参入し、競争を繰り広げるからこそ議論が活性化し研究が前進する。流動性が顕著な特徴である。加えて、相互のネットワークが構築できるように制度設計されている。中でも特徴的なのは、大学・大学院在学中や修了後、あるいはキャリアの途中で提供されるフェローシップを通じた選抜のシステムだろう。 フェローシップは日本で理解されにくい概念である。日本では事業仕分けで若手研究者へのフェローシップ予算が生活支援であるかのように論じられ、やり玉に挙がった。しかし米国のフェローシップで重要なのは、フェロー同士のつながりによってネットワークが形成され、異なる分野の専門家が紐帯を築き、政官財界から学界まで横断して共通認識と人脈を形成することである。

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