海外メディアに任せていては“痛い腹”を探られる。ならば自ら発信しようと巨費をつぎ込む。中国らしい長期戦略だが……。 新中国成立六十年を祝う国慶節は二〇〇九年十月一日。最新「国産」兵器の初公開を目玉に、台頭する中国の「今」を映し出す一大イベントだった。江沢民前総書記が十年前に指揮した軍事パレードに比べ、飛躍的にして着実な軍備強化が世界の耳目を奪ったのは記憶に新しい。その時、まったく話題にはならなかったが、見逃してはならないシーンがあった。天井の開いた特別車に乗る胡錦濤総書記(国家主席)が天安門から走り出し、北京のメインストリート・長安街に整列した兵士を閲兵する姿を、特別車の前方から追う撮影クルーが二つあったことだ。国営テレビ局・中国中央電視台(CCTV)の独擅場だった国慶節の実況中継に、同じく国営の通信社・新華社の撮影隊が新たに参入したのである。 新華社は当日、午前零時から午後十時半まで式典を実況する態勢を敷いた。国慶節実況の歴史では初めて、天安門西南に近接する人民大会堂の屋上にまでスタジオを特設し、眼下の天安門広場や周辺の迫力ある映像を伝えた。 従来、文字と写真だけを扱ってきた新華社が、中国共産党中央の指示を受け、映像番組を提供する戦略を本格化したのは、〇八年七月、同社の党組織が「新華社の映像報道をさらに発展させるための意見」を決定してから。〇九年初めには旧音像部をベースに音視頻(音声・映像=AV)新聞編集部に衣替えし、地方テレビ局の若手らからスタッフを募り、百人だった人員を秋までに三百人規模へ一挙に拡大した。

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