デトロイト上空 日本人の教えた「テロ」

執筆者:徳岡孝夫2010年2月号

 料理をオンラインで持ってくる店がある。テーブル上のパソコン端末で好きなものを検索してクリックすると調理室が情報を受け、注文した順に持ってくる。刻々の合計金額が表示され、割り勘にするなら一クリックで一人なんぼと表示される。場所は横浜駅西口某ビル二十五階という。息子の車の助手席に乗って出かけた。これも正月休みの話のネタである。 高速に乗って驚いた。夜の外出など滅多にしないから忘れていたが、視力の弱い私の見る道路照明は無いに等しい。漆黒の闇を突き進む、SF映画中の人物になったような錯覚を抱く。 後ろの席には嫁と孫娘二人が座り、くつろいで女三人のお喋りをしている。私は思い出した。私が運転していた頃、日本の車にはシートベルトがなかった。ドア・ロックもなかった。危険千万である。だが、また思えば、我が家からすぐの山裾に、こんなスピードで走れる高速道路も、昔は存在しなかった。 視力を損ねハンドルを握らなくなって二十数年、車の性能と事故を避ける工夫は、いわば互いに励まし合う形で、より高度なクルマ社会を築いてきた。 互いに、相手を打ち負かそうとしながら進歩する。それは戦車の装甲と対戦車砲の貫通能力の関係に似ている。ロンドンの戦争博物館には、第一次世界大戦中に初めて戦車が戦線で使われてからの対戦車砲が並べて展示してあった。その一門一門が、より有効な装甲を持つドイツ戦車の進歩と正確に並行していた。私は眺めて、思わず呵々大笑した。

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