グーグルは「正義の味方」か

執筆者:砂谷真2010年3月号

[サンフランシスコ発]米国のIT(情報技術)企業は、企業イメージを演出するのが得意だ。
 最も象徴的な例は、初代「マッキントッシュ」パソコンの発売を控えたアップルが一九八四年一月のスーパーボウル中継中に一度だけ放送したテレビCMだろう。
 著名な映画監督であるリドリー・スコットが指揮した六十秒CMは、ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』のパロディー。当時のIT産業の王者で「ビッグブルー」と呼ばれたIBMを、世界を圧政で支配する独裁者「ビッグブラザー」に重ね合わせた。そして独裁者への隷従を強いられる人々の間を割って若くエネルギッシュな革命家(CMでは女性ランナー)が登場、ハンマーの一投で体制(ビッグブラザーが映っているテレスクリーン)を粉砕する。自社をIT業界のアンシャン・レジーム(旧体制)を破壊する革命家になぞらえたアップルは、このCMで自らの役どころを強く印象付けたのだった。
 それから四半世紀あまり。今年二月七日に行なわれたスーパーボウルの中継では、第三クオーターの最中にグーグルがブランドCMを流して話題となった。同社はマスメディアを使ったブランド広告をやらないことで有名だったからだ。
 CMに映しだされたのはパソコン画面。検索窓に入力されるキーワードと検索結果が次々流れ、一つのストーリーを展開する。いかにも技術志向の強いグーグルらしく、使い方や利便性の周知に徹したCMだが、それゆえ劇的なインパクトはなかった。ブログ界では「何が言いたいのかわからない。大金の無駄遣いだ」とさんざんな評判だった。
 だが、そんな地味な印象こそ、今グーグルが世間に広めたい自らの役柄なのかもしれない。というのも、最近になってことあるごとに「強者」「支配者」として警戒されるようになったからだ。「私たちは皆さんに利便性を提供しようと地道に努力する技術会社なのです」というメッセージを伝えたいからこそ、禁じ手だったブランドCMを、視聴率の高い時間帯に、わざわざ地味な内容で流したのではないか。

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