危機に瀕する日本の知的発信力

執筆者:池内恵2010年3月号

 エジプトのカイロで、アフラーム政治戦略研究センター(アフラーム研)と日本国際問題研究所が行なったワークショップに参加した。
 アフラーム研はエジプト随一の国際関係の研究機関で、政府系最有力紙アフラーム新聞の傘下にある。「アフラーム」紙はエジプト政府の公式的立場が載ると共に、アラブ諸国で最も分厚い知識層を抱えるエジプトの知的発信力が発揮される媒体でもある。中東政治の「風向き」を感じるために、各国の中東専門家がチェックを欠かさない新聞である。
 アフラーム研の研究者は、エジプト政府の政治・外交情報にある程度のアクセスがある点が強みだ。当然その反面として、研究の独立性には留保をつけざるを得ない。しかし情報の公開性・透明性が欧米と比して著しく低い中東諸国の場合、政府と距離が遠ければ情報を得られないばかりか、政府に不都合な情報を探る危険人物として弾圧・排除されてしまいかねない。政府と付かず離れずの距離を保つアフラーム研は、研究の中立性と情報へのアクセスのバランスを取る立場にある。
 エジプト政府としても、抑圧的な専制国家として外部から見られることは、特に米国との友好関係を維持するためにも得策ではない。一部のエリート研究者たちにある程度の情報アクセスと自由な発言を許しておくことは、「情報の公開性と表現の自由が確保されたエジプト」というイメージを対外的に発信するために有効である。研究者の側も、その時々の政府の許容範囲を絶妙の感度で測りながら発言を行なう。9.11米同時多発テロ事件以後はかなり自由になった印象がある。
 十数年前に会って以来、連絡を欠いていた研究者との再会もあった。エジプトの時間の流れでは十年など一瞬である。まるで昨日別れたばかりのように会話がつながる。しかしもちろんその間に時代は大きく動き、お互いの立場も変わった。
 9.11以後、アフラーム研の研究者たちは国際メディアに引っ張りだこになった。海外からの求めに応じられる人員を擁し、中東問題のアジェンダ・セッティングに主導権を握ることで、エジプトの国際的な存在感と発言力が確保されるのである。
 翻って日本を見ると、状況は深刻である。外交や国際政治を研究し、日本の置かれた立場を検証し、国際的に主張を発信するためのインフラが、急速に失われつつある。例えば『外交フォーラム』は三月号での終刊が決まった。外務省が一定部数を買い上げることで採算を取っていたが、これが「事業仕分け」のやり玉に挙げられ、予算が打ち切られたのである。本誌購読者は、『フォーサイト』が次号で休刊となることもご存じだろう。国際政治の最新情報を分析し、知見を共有するためのメディアが一挙に失われることになる。
 日本国際問題研究所の予算も削られ続け、縮小を重ねて、専任の研究員は極めて少なくなった。ここが出してきた学術誌『国際問題』は外交・国際関係の専門家の間で評価の高い雑誌だったが、予算カットで紙版の発行を止め、賛助会員だけが閲覧できるウェブ版になった。
 先日届いた、アジア経済研究所の学術誌『現代の中東』には、二〇一〇年一月号をもっての停刊が告げられている。一般読者には馴染みのないものだろうが、中東研究にとっては重要な役割を果たしていた。日本の中東研究は歴史学や宗教思想研究が母体となって成立しているため、現代の政治・経済の専門家が育ちにくく、成果の発表媒体も少ない。中世を対象にした歴史学者が主流の中東研究業界では、現代研究の意義は認められにくいのである。そこを旧通産省所管の特殊法人として一九六〇年に発足したアジア経済研究所が補ってきた。
 筆者は二〇〇一年から〇四年にかけてアジア経済研究所に勤めていた。イスラーム思想研究を現代政治研究へとつなげていくために、この通称「アジ研」での勤務は、重要なステップとなった。大学や各種学会の組織の中では、思想研究と政治・経済研究を横断し統合することは容易ではない。経産省管轄の研究所に所属することで、文部科学省傘下の大学や学会が縛られた学問分野間の「縦割り」の弊害を越えることが可能になった。『現代の中東』には萌芽段階の研究成果をいくつも寄稿したものである。それらはその後の論文や単行本の基礎になった。
 アジア経済研究所の規模と水準は、欧米の諸機関と比べても遜色がない。発展途上国を植民地主義的な統治の目線ではなく、現地社会の現実を見つめて下から積み上げていく研究手法は日本の強みである。「現地主義」で長期間の地を這うフィールドワークを尊ぶ伝統は、日本が欧米の研究に対抗していくために失ってはならない切り札である。
 アジア経済研究所は、政治と官庁の思惑に翻弄されて消耗した。「首都機能移転」の一環として東京・市ヶ谷から千葉の幕張に移され、「行政改革」でジェトロ(日本貿易振興会)と統合され、「特殊法人統廃合」のために独立行政法人・日本貿易振興機構と看板を掛け替えた。そのたびに事務処理に追われ、人材は流出した。毎年の予算削減で編集部門も削減され、雑誌も維持していけない。
 権威の高い雑誌を持っていることこそが研究所の威信を支え、それに惹かれて優秀な研究者が集まり、共同研究に参加するメンバーの質も高まって、研究成果の向上につながる。雑誌を切れば、研究所の求心力が落ちて、改革もままならなくなる。

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