支離滅裂「社民党」のかくも深き混乱

執筆者:川口真理2010年3月号

 検察による小沢一郎民主党幹事長の事情聴取に世間の耳目が注がれていた一月二十三日と、その翌日。東京・永田町の社民党本部で、二年に一度の社民党大会が二日間の日程で開かれた。連立政権の一翼を担う与党ではあるが、党所属国会議員はわずか十二人。今夏の参院選の準備の遅れを嘆く発言が相次ぎ、党勢の衰退を痛感させる大会となった。 暗いムードに拍車をかけたのが、福島瑞穂党首の立ち居振る舞いだった。客席の地方代表者たちが顔をしかめるのも意に介さず、議事進行中も携帯電話を手に壇上を歩き回る。昨年十二月の党首選で無投票四選を決めた福島氏は、大会当日になっても執行部人事を固めることができず、調整に追われていたのである。 混乱の顛末は、お粗末の極みであった。四選を決めた福島氏は重野安正幹事長の続投で腹を固めたが、重野氏は調整能力を欠くことで知られる。党首の意を受け、辻元清美副国土交通相が兼務してきた国会対策委員長に新人の中島隆利衆院議員を内定したものの、友党の民主党が中島氏の経験不足に難色を示し、人事構想は頓挫してしまった。 ここで福島・重野体制の稚拙な党運営が露呈する。やむなくベテランの照屋寛徳衆院議員を国対委員長に据え、阿部知子衆院議員の政策審議会長留任を決めたが、当人たちに事前相談せず、大会当日に一方的に就任を通告したのだ。怒った二人は就任を拒否し、両ポスト空席のまま大会は閉幕。大会後の記者会見で前代未聞の混乱を説明した福島氏の言葉には、身内の議員たちも耳を疑ったに違いない。

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