国境を越えた資源争奪戦は、今に始まったわけではない。極論すれば、古代のヤマト建国も、「誰が鉄を手にするのか」、その争いだったのだ。 弥生時代後期、鉄鉱石の産地・朝鮮半島南部には、鉄を求めて各地から人が集まり、その中に倭人が混じっていたという。またこの後、大量の鉄が日本列島に向けて輸出されるようになるのだが、当初鉄を独占していたのは、北部九州だった。 ところが、三世紀後半から四世紀にかけてヤマトが建国されると、鉄は一気に東に向かって流れ出す。瀬戸内海勢力が、北部九州を圧倒し、鉄の流通ルートを確保したのだろう。 ところで、鉄の流通には、ひとつの大きな謎が残された。というのも、朝鮮半島南部から鉄がもたらされたことは分かっているが、では日本列島から、見返りに何を送ったのかがはっきりとしない。つまり、極端な輸入超過なのだ。 古代の日本列島には、朝鮮半島から先進の文物が次々ともたらされた。ならばそれは、慈悲や「お恵み」だったのか。あるいは、渡来人が倭国を支配するための、祖国からの支援活動だったのだろうか。『日本書紀』の神話には、謎解きのヒントになりそうな話が載っている。天界から舞い下りたスサノオは、「韓郷(朝鮮半島)には金銀(金属)の宝があるが、日本には浮宝がなければならない」と語ったという。「浮宝」とは、船や建築用の木材を意味している。そしてスサノオは、体中の毛を抜き、各地に撒き、森林が生まれたという。

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