「茶会」という「反オバマ運動」の不気味さ

執筆者:ルイーズ・ブランソン2010年4月号

[ワシントン発]二〇〇八年、バラク・オバマは現職大統領、ジョージ・W・ブッシュの不人気という大波に乗って大統領選に圧勝した。アメリカ経済を新たな恐慌の瀬戸際にまで追いつめた金融崩壊――これがブッシュに対する人々の不満を激化させていた。
 オバマの支持層は、投票や選挙活動を初めて体験した有権者、とりわけ若者たちが大半を占めていた。「Yes We Can」のスピーチに触発されただけではなく、彼らはツイッターやフェイスブックといった新たな社会的メディアを通じて、オバマの驚異的な支援者拡大を後押ししたのだった。
 あれからほぼ一年半が過ぎ去り、二〇一〇年の春を迎えたアメリカは、当時と同様の不平と不満の波に覆われている。今回も社会的メディアが活用され、アメリカ各地で集会が開かれている。
 だがこれは、オバマファンの集会の再現ではない。それどころか、「茶会運動」という名の「反オバマ運動」なのだ。ここではオバマは、アメリカを破壊に導き、個人の自由を奪い去るヨーロッパスタイルの社会主義者だと公然と非難されている。
 オバマの政策に異議申し立てをしている者たちは、すべてとは言わないものの、右派の傾向が強く、自分たちは「アメリカの価値観」と「自由」の復権を望み、均衡予算に基づく小さな政府を求めていると主張する。
「茶会運動」という呼称は、一七七三年のボストン茶会事件に因んで名づけられた。これはイギリスの植民地支配と重税に怒った市民組織がボストン湾に大量の紅茶箱を投棄し、これがやがてアメリカ独立革命へとつながる象徴的な事件だった。
 では、現在のアメリカで広がっているこの草の根的な茶会運動とは、どういうものなのか。米『タイム』誌の説明を借りれば、これは「頭脳明晰な人材を擁した政府ならば複合的な立法措置を通じて異論の多い複雑な問題をも解決できる、とする民主党員に広く支持されている思考」を否定する運動だという。
 茶会運動は政党ではなく、また公式な指導者層も存在しない(もっとも、前共和党副大統領候補で、銃規制に反対する反知性主義者のサラ・ペイリンが一種の守護聖人となっている)。けれども、アメリカ中に広がるこの運動の高まりは、ベトナム戦争真っ只中の一九六〇年代から七〇年代にかけてアメリカを席巻したリベラルな価値観から、ついにアメリカが決定的に離別しようとする徴候とみることもできる。
 いずれにしても、茶会運動がオバマ大統領の大きな頭痛の種となっているのは明らかだ。医療保険制度改革から温室効果ガス排出量規制にいたるまで、オバマが推進している各種改革案の分厚い障壁として立ちはだかっているのだから。
 茶会運動の参加者たちは、ことによると、来たる十一月の中間選挙でオバマ率いる民主党を痛打し、議会の過半数割れに追い込む決定的な役割を演じるかもしれない。現に彼らの圧力戦術が効を奏し、次の選挙に出馬せず引退を考え始めた民主党議員もいる。先に行なわれたエドワード・ケネディ上院議員の死去に伴うマサチューセッツ州の補欠選挙でも、民主党の指定席とみられていた議席を共和党のスコット・ブラウン候補が奪い、この結果、民主党は上院における安定多数を失ったが、茶会運動家は、これも自分たちの手柄だと吹聴しているのだ。

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