公明連立入りの「状況証拠」

執筆者:2010年7月30日

 民主党が7月11日投票の参院選で大敗を喫したことによって、各政党の熾烈な駆け引きが始まっている。
 菅直人首相は選挙期間中の7月4日、JR横浜駅前での街頭演説で、こんなふうに豪語していた。
 「小さな政党が政策実現をしようとするなら、どこかの大きな党と協力するしかない。私は小さな党の経験者としてアドバイスを差し上げたところであります」
 ここで菅首相が言っている「小さな政党」とは、渡辺喜美代表率いるみんなの党のことである。菅首相は1980年の衆院選で社会民主連合(社民連)公認候補として初当選したのを皮切りに小政党を渡り歩いてきた。菅首相の初当選時の社民連は衆院での勢力がわずか3議席。そんな弱小政党の悲哀を誰よりもよく知る菅首相の言葉だけに重みがあると言えばあるが、要するに、菅首相は、みんなの党が生き残る道は民主党との連携以外にはないと言いたかったわけだ。みんなの党への牽制である。

「喉元に合口を突きつけた」

 だが、参院選結果を受けて、与党が参院過半数割れに陥った結果、事情は変わった。今や小政党と大政党の立場は対等である。
 与党は法案成立のためには、なんとかして参院で過半数を確保するか、あるいは参院での否決法案を再可決するために衆院定数の3分の2の議員数をそろえるか、という手段しかない。いずれにしても弱小政党を含む他党との連携や議員の引き抜きなしでは国会運営が難しくなったわけだ。つまり、みんなの党などが大政党の力を借りなければ法案を成立させられないのと同様、民主党も弱小政党の議席数をあてにせざるを得なくなったのである。
 7月22日夜、首相官邸を訪ねた国民新党の亀井静香代表は、取り囲んだ報道陣に対して、勝ち誇ったようにこう言った。
 「マスコミが『大変だ、大変だ』と騒いだけれども、大変でもなくなっちゃったな。ご愁傷様でした」
 このころマスコミは参院選惨敗によって与党の政権運営、国会運営が困難であることを書き立てていた。これに対して、亀井氏が上機嫌で憎まれ口をたたいたのは、この数時間前に国会内の常任委員長室で開かれた亀井氏と社民党の福島瑞穂党首との会談がとりあえず成功したからである。
 亀井氏「これで日本が動きます」
 福島氏「善い政治になるようにがんばりましょう」
 この会談で両党首は、2つの法案の成立に向けて協力することを確認した。1つは、国民新党が最優先事項としてきた郵政改革法案。これは、先の通常国会の最終盤で、菅首相が成立を約束していたにもかかわらず民主党の国会早期閉会方針によって廃案となってしまった曰(いわ)く付きの法案である。もう1つは、社民党がこだわってきた労働者派遣法改正案。両党が手を組むことで、両案の成立に一筋の光明が見えてきたのだ。
 社民党が5月に米軍普天間飛行場移設問題をきっかけに連立与党を離脱したことで、与党は衆院での法案再可決に必要な3分の2の勢力を割り込んだ。これにより、民主党は法案をなかなか通せないという窮地に陥ったわけだが、国民新党はこの状況を逆手にとって、社民党と再び手を組むことで民主党に圧力をかけたのだ。国民新党議員は記者団にこう話した。
 「民主党が郵政改革法案成立の約束を守らないなら、こっちも協力できない。民主党の喉元に合口を突きつけた」
 これは、小政党に振り回されることになる民主党にとっては屈辱的かもしれない。だが、その半面、率直にありがたいと思った部分もあるはずだ。亀井氏が社民党を味方に引き入れたことによって、民主党が進める他の法案成立にも社民党が協力してくれる可能性が生まれたからだ。

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