「シロウト判断」による裁き

執筆者:徳岡孝夫2010年10月15日

 恥をさらすようだが…と言うほどの恥ではないが、私はこの世に検察審査会というものが存在するのを知らなかった。いま知らないのではない。50年以上前、四国・高松で駆け出し記者をしていたとき、知らなかった。  知らなくて当たり前である。私は文学部英文科に学び、ひたすらシェリー、キーツの詩に酔い、チャールズ・ラムの文章に感動していた。卒論に取り掛かったところで、新聞社が「すぐ来て働け」と言って、見も知らぬ四国の町の支局を指したのである。六法全書みたいな駄文のカタマリは、手に取るのさえ汚らわしかった。  起訴、判決の次は控訴で最後は上告と呼ぶことさえ正確には知らなかった。辛抱強く教えてくれたのは、他社の記者と地検の次席検事だった。  2年半の支局勤務中に検察審査会が出てきて「その不起訴は不当だ」とイチャモン付けたのは、1度きりだった。それほど珍しい、従って地方版の大ニュースであった。どんな事件だったかは忘れたが、検察は鎧袖(がいしゅう)一触、審査会の議決を撥ね除け、不起訴を通した。その一部始終を、私は次席検事に解説されながら書いた。  八っつあん熊さんの混じった検察審査会では、検察の決定に横槍を入れるのは無理だ、入れても跳ね返されるだけだと私は感じた。以後それが私の「常識」になった。私の中の「神話」だと言える。

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