喪失の思考-このままでは日本はすべてを失う

執筆者:平野克己2010年11月3日

 いま、エチオピアの首都アジスアベバでこれを書いている。高度2400mの朝夕はとても寒い。

先週は南アフリカにいた。南アフリカのプレトリア大学のビジネススクールに日本研究センターが開設されることになり、その開所式でお話をするのが出張目的のひとつだった。東大の北岡伸一教授もゲストとしてお話をされた。北岡先生は「フォーサイト」でもお馴染みだ。
中国はアフリカに孔子学院を20校以上開設していて、南アフリカにも十年ほど前から中国研究のハブがある。他方、サブサハラ・アフリカの国に日本研究の拠点ができるのはおそらくこれが初めてだ。ただし、日本政府から資金が出るわけではなく、南アフリカ企業と日本企業が出資した。すばらしいことだが、じつはまだセンター長が決まっていない。中国語ができる南アフリカ人はいるが日本語ができる人間はいないし、日本に関して論考を出している研究者も数名にすぎない。開所式の出席者数は日本人を合わせても60人ほどで、ビジネススクールのセミナー会場には空席がめだった。これまで日本研究支援を怠ってきたことが、ここにきて響いた。
 
話は変わるが、南アフリカでの自動車売上台数に昨年異変があった。20年以上にわたって首位にあったトヨタがフォルクスワーゲンに抜かれ、韓国勢にも抜かれたのだ。ほんの数年前には大投資で立ち上げた世界戦略車の売上が絶好調で、トヨタの天下は安泰とみえたのだが、どうやら新興国向け低価格車開発の出遅れが響いたらしい。現地のトヨタの方の話では、首位への返り咲きはしばらく難しいかも知れないという。
 
一方、日本ではAPEC首脳会議が間近に迫っている。菅総理はここで環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)への参加を表明したい考えだが、世論も政府内にも異論が強い。関税引き下げが日本農業を壊滅させるという危惧からだ。日本のFTA交渉全般を阻んでいるのがこれで、日本農業の構造的な弱さが日本経済の展望にとって制約となっている。だが、FTA交渉で韓国に大きな差をつけられているいま、事態は風雲急を告げている。
主には中国経済の急成長によってアジア経済の拡大が著しいことは、いまさらいうまでもない。自国を取り囲む近隣諸国の経済規模が拡大するとき、それに相応して貿易規模を大きくできない国はかならず衰退してきた。これは歴史が示している経験則だ。しかも、その衰退スピードは早いのである。
現在日本の貿易依存度は30%台だが、これは世界的にみてかなり低い。貿易立国といわれる日本の貿易依存度が、なぜこれほど低いのか。ひとつの原因は近隣アジア諸国の経済規模が小さかったからだといえる。日本とヨーロッパの違いはここにあった。しかし、いまやアジアにはEUを凌駕する経済圏が形成された。しかもアジア経済はまだ成長を続けている。現在わが国は、国内問題を国際的枠組みで解決する政策に着手しなければならない状況のなかにある。
 
トヨタに象徴される輸出産業が外貨を稼ぎ、その外貨で国内に賦存しないものを外から購入して、あとは国内優先で事を進めるという思考では、日本の明日はもうないだろう。ここエチオピアでは農業関係の某研究所の所長とご一緒しているのだが、その方の言では「長男だけが高校に進学できるという社会でよいのなら現状の農政でもよかろう。再び中進国に戻るということだ。それがいやなら日本の農政は国際化するしかない」のである。先行投資と無駄の区別もつかず、一番をめざす気概を失った国に、安定的な外貨獲得の途などあるはずもない。トヨタとて当然躓く。新興国向けビジネスや貧困層を対象としたBOPビジネスにおいては、日本は明らかに出遅れている。
 
農業をはじめ国民遍くに庇護を提供する万能の政府を求めつつ、他方では無能な政府の極小化を求める。世論は、こういう矛盾した思考を右往左往している。衰退する国家とはやるべきことができなくなった国家のことだ。難局にあってまずすべきは、なにを捨てられるかを決めることだろう。もちろん農業を捨てるのではない。国際的枠組みのなかで生き残れる農業を政策的に構築するために、既存の閉塞を捨てるのだ。これは開発政策の基本でもある。
あれもこれもという欲望が果断な政策を阻み、結局すべてを失うことになる。日本に先行して20年の経済停滞を経験したアフリカが、そのことを教えている。
(平野克己)

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