北朝鮮砲撃事件で、国際情勢は一気に緊迫化。
その余波で、国内の政治闘争は一時休戦ということなのか、仙谷官房長官への問責決議先送りなどが決まったらしい。
 
国内への影響は、それだけではない。
報道によると、「朝鮮学校無償化」について、菅総理が高木文部科学大臣に「こういう状況なので、プロセスを停止してほしい」と指示。政府筋はその理由を、「砲撃事件が起きて、国民の税金を使うことに国民から理解が得られるかどうか、まずプロセスを止めて検討することになった」と説明したそうだ。
 
もともと、我が国の財政が極めて厳しい中、なぜ「朝鮮学校無償化」にカネを使う必要があるのかは、大いに疑問ある話だった。
その意味で、方針転換(少なくとも停止)という結論自体、歓迎してよいのかもしれない。
 
だが、やはり気になるのは、政策決定があまりに無原則でないか、ということだ。
 
文部科学省は、これまで、高校無償化は「学校ではなく、生徒個人に対する支給」であることを強調し、11月5日、「教育の内容は問わず、外形的なカリキュラムが高校課程に準ずるかどうかで適用の有無を判断する」という基準を公表した。
 
その考え方は、「高等学校の課程に類する課程を置く外国人学校の指定については、外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から客観的に判断すべきものであるということが法案審議の過程で明らかとされた政府の統一見解」(2010年8月31日「高等学校等就学支援金の支給に関する検討会議」報告書より)ということだったはずだ。
 
こうした考え方や公表済みの基準と、今回の政府の方針転換とは、明らかに整合性を欠く。
 
状況に応じた柔軟な対応はあってよい、という人もいるかもしれない。
しかし、行政は、法令や基準に基づいて、公平に行われることが大原則だ。
そうでなければ、権力者による恣意的独裁になってしまう。
法令類にとらわれて融通が利かない“硬直的官僚主義”は困りものだが、逆に、融通が利きすぎて、その場その場で立場が変わってしまう“原則なき恣意的行政”は、はるかに深刻な危険性をはらむ。
 
民主党政権は、この問題に限らず、もう少し原理原則を大事にした方がよいと思う。
 
(原 英史)

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