「隷従への道」か「市場の声」か

執筆者:田中直毅2010年12月3日
11月8日、BIS総裁会議後の記者会見に臨む欧州中央銀行のトリシェ総裁 (C)AFP=時事
11月8日、BIS総裁会議後の記者会見に臨む欧州中央銀行のトリシェ総裁 (C)AFP=時事

 リーマン・ブラザーズ社の破綻から始まった世界経済の変動は、2年を経過しても収まらないだけではなく、更なる影響の波及が観察されるに至った。その広域性と、こだまが行きかうような波動の重なりこそが、グローバル経済のダイナミックスの特徴となってきた。患者の病状を診断し、治療の任にあたる臨床医は、病名の特定を行なわねばならない。誤診かどうかは、死体解剖によって病源が特定されてはじめて分かるというに過ぎない。今回の世界経済という患者に臨む医師は、基礎医学の遅れにいらだちを隠せないでいる。しかし、患者に処方箋を用意せねばならない立場からすれば、過去の基礎医学の業績がいかに心許ないとしても、診断拒否が職場放棄に直結する以上、自己の職業上の責任感覚だけを頼りに一歩前に出る以外ないのだ。

米「量的緩和策」に猛反発した欧州

 ソウルのG20と横浜のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議の直前に、スイスのバーゼルでBIS(国際決済銀行)総裁会議が開かれた。11月の7日と8日のことである。その直前の11月2、3日に開かれたFRB(米連邦準備制度理事会)のFOMC(連邦公開市場委員会)では第2弾の金融の量的緩和(Quantitative Easing2、以下QE2)が決められていた。BISの会議には、各国の中央銀行総裁が集った。このとき欧州各国から米国のQE2に対して厳しい批判が相次いだ。
 ちなみにECB(欧州中央銀行)はトリシェ総裁によって率いられているが、たとえばドイツにはドイツ連銀があり、銀行監督の任務を担っている。ECBに移管されたのは共通通貨ユーロの銀行間金利を実質的に決定する金融政策に関する権限のみである。個別の銀行の融資決定に関する内部管理や融資案件ごとの健全性を検査する権限は、ドイツ連銀がもったままといってよい。
 BISに参集する中央銀行首脳とはこうした立場の長でもある。このときのQE2批判の大合唱は、発表はなかったものの、すぐに市場関係者にも伝わり、その後の米国や日本の長期金利の上昇に繋がった可能性が高い。QE2は長期的なインフレ期待の決定に影響を持たざるをえず、それぞれの中央銀行は短期金利から長期金利までの金利体系の全体を制御できるわけではない、という批判の論点はそれなりに正しかったともいえる。このことはベン・バーナンキFRB議長によるQE2の効果に市場が「否」の声を寄せたということでもある。基礎医学としての経済学は、この局面でも間違いなく試されていたのだ。

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