呆れるような話だが、現時点でコートジボワールには大統領がふたりいる。現職候補が選挙で負けたことを認めずに居座ったからだ(本欄「選挙の先にあるもの」)。ローレン・バボ(Laurent Gbagbo)の居座りに対しては、アフリカ諸国も国連も猛烈に批判している。

 コートジボワールはなかなかすごい国だ。アフリカ最大の農産品輸出国で、ココア輸出は世界一。ココアのほかにもゴム、綿花、カシューナッツ、バナナといった輸出品をもっている。モノカルチャーではない多彩な輸出農業があるというのは、アフリカでは珍しい。コートジボワールは仏語圏西アフリカにおける製造業拠点だから製造業輸出も多い。産油国でもある。

 なにより、アフリカ近代史における存在感がすごい。
 サブサハラ・アフリカ最初の独立国はガーナで(1957年独立)、ンクルマ初代大統領は急進派のリーダーだった。彼には「アフリカ合衆国」構想があって、アフリカ大陸の政治統合をめざしていた。これに対しコートジボワールのウフェボワニは、仏領アフリカ植民地による協商会議を立ち上げて穏健派のリーダーになった。ウフェボワニはコートジボワールの初代大統領で、1993年に88歳で死去するまで大統領職にあった。
 一方、かのドゴールには、植民地を細かく分割して独立させ、これらを「フランス連合」に糾合するという構想があった。この構想を現地で推進したのがウフェボワニである。急進派はドゴール構想を「アフリカのバルカン化」として嫌ったが、結局ウフェボワニの分権路線が勝利し、アフリカ統一機構(OAU)の創設へとつながっていった。つまり、独立後のアフリカ域内政治はウフェボワニが敷いた道を歩んだのである。
 彼のように西側との協調路線をとった政治家は、腐敗した強権政治家とみられ、評判はよくなかった。だが、植民地時代の遺産を継承できたコートジボワールやケニアは、順調な経済成長を謳歌したのである。

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