江沢民を悩ます地方保護主義

執筆者:藤田洋毅2000年1月号

中央の政策運営を難しくする最大の要因に

[北京発]首都を囲む四方で花火が上がった。行き交う人や車で街はごった返し、高級ホテルで催されたミレニアム記念の音楽会や催し会場は、百元札の束を鷲掴みにした「中国版ニューリッチ」であふれかえった。飲食店、カラオケ店などが集中する「北京の六本木」三里屯酒ハ街でも、若者の歓声が響いた。北京は華やかに二〇〇〇年の幕開けを迎えた。

 しかし地方、特に内陸部に目を転じると、例年に比べ新年の祝賀行事はきわめて質素だった。その原因は昨年十月一日の建国五十周年記念式典にある。式典に際し、党中央から多大な出費を強いられた地方政府は、「金庫が空っぽ」(党中央の幹部)で、新年の行事どころではなかったからである。

 十五年ぶりの軍事パレードが耳目を集めた建国記念式典の際、党中央は全ての省・自治区に対して、経済建設の成果や民族の団結を示す山車を一台繰り出すよう指示した。式典の成功には江沢民国家主席の面子がかかっていたため、沿海部など財政力の豊かな地方は、江への忠誠度を競うかのように派手な山車を作り上げた。対抗上、内陸の貧しい地方も派手に演出せざるを得なくなり、結果、たった一台の山車に最低で一千万元(一元は約十二円)、高いものでは四千万元近くが投じられた。パレードに参加する数百人分の北京派遣・滞在費用は、もちろん地方政府自身の負担。内陸部のある地方政府幹部は「『山車一台でいくつの小学校を作れるか分かっているのか!』などと内部から強烈な批判が出たが、江への忠誠競争に奔走する省長らトップはまったく耳を貸さなかった」と明かす。

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