人みな死に向かって行く

執筆者:徳岡孝夫2000年3月号

 かつて最大の問題は、人生いかに生きるべきかだった。いま最も大切な問題は、いつ、いかに死ぬべきかになった。

 老人の数が、世界のどの国もこれまで一度も経験したことのない速度で増えている日本という国。私の世代も、昔に比べていまの老人は若いと割引いてはみるが、それでも疑う余地ない老境に入った。小学校の同窓会は、もはや週末でなくてもよくなった。重役だった友も引退し、教授は学園を去り、毎日が日曜日だからである。

 床に入って目をつむると、昔はあれをこうして、これをああしてと、仕事の手順が雲霞のように浮かんだ。いまは何も思わない。このまま冥界に拉し去られても、もう不足のない齢になった。残る大仕事はただ一つ、死ぬことだけである。

 チャールズ・シュルツが七十七で死んだ。私が五十年近く馴染んできた漫画の作者で、親しい友に去られたような痛恨を感じる。チャーリー・ブラウンを、スヌーピーを、ペパミント・パティ以下のキャラクターを創造し、広く世界のファンに愛された人だった。

 サンフランシスコの北数十キロ、サンタローザの自宅の仕事場から、彼が「大腸ガンの治療に専念するため、残念ながら筆をおく」とファンに惜別のメッセージを送ったのは、昨年十一月のことである。書き溜めがあったので、日刊紙の連載は今年の一月三日まで続いて終わった。なお日曜版用の連載が、二月十三日の分まで書き上げてあった。

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