「独法化」で残る大学、消える大学

執筆者:加古陽治2000年3月号

魅力なき大学は国立でもつぶれる時代が来た

「非効率な大学はつぶすのが当然なんだよ」。行財政改革を進める中央省庁等改革推進本部の首脳は国立大を「つぶす」という言葉をはっきりと口にした。今や金融業界と同じく、大学の護送船団時代も終わりが近づいている。

 教育や研究のグローバル化も、日本の大学を国際競争の渦に巻き込みつつある。インターネットの双方向通信や衛星放送でアメリカの大学のMBA(経営学修士)が取れる時代だ。「米英の一流大学が通信教育に本格参入すれば『日本の大学に通う必要はない』と考える学生が増えても不思議ではない」(文部省幹部)。

 一方、国内には少子化の波が押し寄せている。一九九二年に二百五万人あった十八歳人口は、二〇〇二年に百五十万人、二〇〇七年には百三十万人にまで落ち込む見通しだ。私大を含む国内の大学間で少ない入学者を奪い合う「ゼロサム・ゲーム」はすでに始まっている。

 そこに加わった新たなショックが、昨年夏以降、多くの国立大学、とりわけ地方の国立大を悩ませている国立大学の「独立行政法人化(独法化)」問題だ。独立行政法人は、英国のエージェンシーをモデルにした(実は似て非なる)新しい制度。行政機構を「企画立案部門」と「実施部門」に分離。このうち実施部門に法人格を与えて独立させ、行政サービスの減量化、効率化を目指す「改良型の特殊法人」(藤田宙靖東北大教授)といえる。法人化の大枠を定めた「通則法」によると、主管する大臣が三―五年の中期目標を指示し、それに基づく中期計画を認可するが、その後の運営は原則として各法人の自由裁量にゆだね、大臣はその結果を事後に評価することになっている。

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