「因果は巡る車の輪」ということわざがあるが、小渕首相の突然の脳梗塞による退陣劇は、この言葉を思い出させた。 先々号のこの欄で、1985年から始まった「バブル経済の発生と崩壊」のプロセスから見て、時代は15年間で一巡したのではないかと指摘したが、政治の流れから見ても、時代はこの15年で一回りしたという印象を受ける。 今からちょうど15年前の1985年2月7日、時の竹下登蔵相は「創政会」を結成し、「闇将軍」と言われた田中角栄元首相からの独立を目指した。これにより自民党田中派は分裂。「内輪揉め」の始まりである。この時、「創政会」の中核メンバーとして、竹下政権樹立へ向けて精力的に動いたのが、金丸信、橋本龍太郎、梶山静六、羽田孜、小渕恵三、小沢一郎の各氏だった。 竹下氏ら子飼いの側近たちの「反逆」に憤った田中氏は、2月27日、突然の脳梗塞で緊急入院。以来、言語障害や右半身麻痺などの後遺症が残り、完全に回復することはなかった。一方の竹下氏は、「創政会」を土台に田中派を乗っ取る形で「経世会」(竹下派)を作り、1987年11月6日、遂に総理大臣に上り詰める。この第1次竹下内閣の官房長官と官房副長官に就任したのが、小渕・小沢コンビだった。以来、「恵ちゃん」「一ちゃん」の盟友関係を深めたといわれる。

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