一国生活主義 石川良孝『オイル外交日記』

執筆者:船橋洋一2000年5月号

 アラビア石油のカフジ原油基地を訪れたのは二十七年ぶりだった。 街路樹が茂って、木陰を供している。あのときは、小さな苗木が一つ一つ鉄の檻のようなものの中に入れられていた。羊に食べられないようにとのことだった。日本への電話はやってみないと分からない。あきらめなさい、と聞かされた。いまは同行してくれた職員が車の中から携帯電話で東京の本社とやりとりしている。 一九七三年五月、私は中曾根康弘通産相に同行して、ここを訪問した。通産相一行は、イラン、サウジアラビア、クウェート、アブダビへの旅の途中、寄った。国際石油情勢が何となく不穏だ、中東産油国を歴訪し、日本に対する心証をよくしておこう、との中曾根流の風見鶏外交だった。 その半年後、石面危機が日本を襲った。「狼がやってきた」のだった。一八〇度の政策転換 十月六日、クウェート大使の石川良孝はBBCの短波放送で中東戦争の勃発を知った。十七日、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)は石油戦略を発動した。その結果、各国は対米全面禁輸と一〇%の生産削減を実施した。そしてサウジアラビアは、イスラエルを支持するアメリカ、カナダ、オランダを「敵対国」とし、英国、フランス、スペイン、マレーシアなどを「友好国」にすると発表した。日本の名前はどちらにも入っていなかった。

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