五月十四日、小渕恵三前首相が死去した。四月二日未明に入院し、脳梗塞による意識混濁のまま不帰の人となった。残ったのは、森喜朗政権の正統性に対する限りない疑惑だ。

 入院した小渕首相が「何かあったら万事よろしく」と指示し、これを受けて青木幹雄官房長官が首相臨時代理になった経緯について、一カ月半口を閉ざしてきた医師団は「(話したということに)驚いている」と初めて語り、信憑性に疑問を投げかけた。朝日新聞は死去当日の朝刊で、インターネットのホームページに小渕氏の病状が詳しく掲載されていると報じ、入院直後にまともな会話は出来なかったと伝えた。

 青木官房長官は、医師団の会見についてこれまでの説明と矛盾しないと主張する一方、「医師団は政治をご存知ない」と居直っている。四月二日の首相動静の虚偽発表、四月二十四日の衆院予算委員会で「青木官房長官が首相臨時代理就任を固辞」と森首相が述べ、慌てて翌日に訂正したのに続き、森政権誕生に至る一連のプロセスは、一段と不透明感を増した。

 小渕氏の葬儀は「内閣・自民党合同葬」として六月八日に行なわれる。衆院解散の日程との調整だったが、結局六月五日解散は動かず、小渕氏の誕生日であり、投票予定日とされる六月二十五日とあわせて解散・総選挙の日程がようやく固まることになる。

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