六月十日に急死したハーフェズ・アサド大統領が三十年にわたり君臨したシリアで、後継指導者の地位を固めた次男のバッシャール・アサド新大統領(三四)は、経済開放やコンピューター普及を唱える「新世代指導者」のイメージが強い。しかし、独裁政権の多い中東諸国でも共和制下の権力世襲は初めてのケースであり、改革を志向する若き指導者にとって、父の築き上げた独裁体制と、それを支えた強権的統治手法を継承せざるを得ないという「負の遺産」はあまりに大きいとしか言いようがない。 バッシャール氏は、もともと政治を志していたわけではなかった。一九六五年九月生まれの同氏は、八二年から八八年までダマスカス大学医学部で学び、卒業後、ダマスカスのティシュリーン軍事病院に眼科医として勤務。九二年にロンドンに留学したが、留学生活は九四年一月、父アサド大統領が後継者として手塩にかけて育てていた兄バーセル氏の不慮の交通事故死で打ち切られることになった。 バッシャール氏の帰国の経緯に関する公式的な説明は「愛国心に駆られ、兄の跡を継ぐべく自発的に帰国した」ことになっているが、実際は父アサド大統領の命令で呼び戻され、急遽「帝王学」を仕込まれることになったというのが真相のようだ。

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