KGB亡命者たちの窮状がもたらす深刻な影響

執筆者:春名幹男2000年8月号

 米首都ワシントンの南、直線距離にして約二百キロ先にバージニア州ジェームズタウンがある。一六〇七年、イギリス人がアメリカに初めて定住した町である。入植者たちは町名に、時の国王ジェームズの名を冠した。今では「国家的史跡」に指定され、アメリカ人の心のふる里の一つとなっている。 冷戦時代末期の一九八〇年、由緒あるこの町の名前をとった非営利の財団、ジェームズタウン財団がワシントンで旗揚げされた。 出資者は反共・保守の経済人たち。同財団はシンクタンクでもあり、「情報源として有益な旧ソ連・東欧諸国からの亡命者の支援」を主要な任務に掲げた。当時は、「米中央情報局(CIA)の民間別働隊」ともみられていた。亡命後、CIAでソ連・東欧情報をデブリーフィング(情報聴取)した元ソ連国家保安委員会(KGB)要員らに職を紹介したりして、彼らの米国定住を助けてきた。筆者は八〇年代末から九〇年代初めにかけて、何度かそのオフィスに出入りして、亡命ロシア人を紹介してもらったことがある。 しかし、KGBの元暗号専門家、ビクトル・シェイモフ元少佐(五四)は、こうした例には該当しない。彼とは九〇年三月、広報・文化交流局(USIA)傘下のフォーリン・プレス・センターで初めて会った。彼のことは別名で何回か本欄において紹介したことがある。

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