二十世紀最後の年、メキシコの歴史が急転した。一九二九年に源流をさかのぼる制度的革命党(PRI)が、二〇〇〇年七月の大統領選挙で初めて敗北、ソ連共産党に次ぐといわれた長期支配に終止符を打ったのだ。 超長期政権が生み出した閉塞状況への有権者の嫌悪感に加え、実質失業率三〇%と貧困人工四〇%の多くを占めるインディオとメスティーソ(混血)から成る浮動票の多くが、反対党候補に流れたのが大きいとみられる。 シベリアからベーリング海峡を渡って、紀元前二万年頃、今日のメキシコ周辺に到達した人々が、インディオの祖先である。彼らはアステカ、マヤ、オルメカ、トルテカなどの名を持つ素朴でエネルギー溢れる文化を形成したが、一五二一年から一八二一年まで続いたスペイン支配下で、スペイン人との混血が急速に進んだ。 一八二一年の独立時の推定では、総人口のうちインディオが五九%、メスティーソが四〇%を占めている。ところが、一九九九年七月現在の米国CIA(中央情報局)の推定による総人口比は、メスティーソ六〇%、インディオ三〇%、白人九%などで、混血の深まりが明白だ。メキシコ文化は「混血の文化」と呼ばれるはどである。 そうなった背景には、植民移住者の政策の影響がある。北米では、欧州からの初期のアングロサクソン系移住者が先住民を「排除して、封じ込める」政策を進めたのに対して、メキシコなど中南米にやってきたスペイン系移住者は、インディオを政治、経済的に迫害、文化的に差別しながらも、一貫して内部に「吸収して、抱え込む」政策をゆっくり追求したからだ。

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