一部議員が党を割って保守党を結成、存続も危ぶまれた小沢一郎党首率いる自由党だが、六月末の衆院選では善戦、議席を増やした。岩手一区では、自由党の達増拓也氏が、優位と思われた現役の農水大臣、自民党の玉澤徳一郎氏に競り勝った。「自分で判断する有権者が増え、旧来の組織選挙は通じにくくなった。ただ、自由党としてはもっと議席を取りたかった。事前予測を裏切り議席を増やしましたが、我々は本気で倍増、三倍増を狙っていたので。でも、国民の大半が自由党は消滅すると思った中で、踏みとどまることができたのは大きい」とは、達増氏の戦いすんでの分析だ。 達増氏は一九六四年生まれ。東京大学法学部卒業後外務省に入省、在シンガポール大使館や九三年の東京サミット準備事務局勤務を経て退職。九六年十月に新進党から衆院選に出馬、当選を果たした。「政治家は身近におらず、職業として意識していなかった」という氏が政界に転じたのは、「湾岸戦争ショック」が大きかったという。「その頃派遣されてアメリカに留学中でしたが、日本の憲法は国際協力を否定する内容なのかとよく聞かれた。自衛隊が湾岸に行ったくらいで軍国主義が復活するような国なのか、健全な民主主義国家なら応分の協力をすべきだといわれると反論できない。経済社会の問題でも世界のルールに合わせようとせず、ポスト冷戦時代に国として対応できないことに、外務省全体としてイライラがあった。やはり政治を変えなきゃだめだと思い出馬したんです」

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