威光消え失せた「興銀神話」

執筆者:滝澤拓2000年8月号

インベストメントバンク化もままならぬ中、“普通の銀行”へ脱落か それにしても急転直下の出来事だった。経営再建に突き進むかにみえた大手百貨店そごう問題は、最終コーナーで破綻処理へと急旋回した。メインバンクとして仕切っていたのは戦後、大企業の再建に辣腕を振るってきた日本興業銀行である。 その経緯を評し、「興銀の威光はそごう破綻とともに消え失せた」と、ある地銀幹部は総括する。もっともその兆候は、七十三金融機関の債権放棄を主軸とする再建計画が、関係金融機関に提示された四月初旬過ぎから窺えたというべきかもしれない。再建計画に対して批判が一斉に渦巻いた。「メインバンクの責任が軽すぎる」――。「興銀があんな虫のいい案を持ち出すとは思わなかった」と、大手都銀役員は振り返る。その批判に堪えきれず、再建計画には修正が加わった。興銀の損失負担が追加されたのである。総額六千三百億円超の債権放棄が伴うにもかかわらず、興銀は再建計画の禊として“そごうのドン”・興銀OBの水島廣雄氏を会長の座から引きずり降ろすことにも手間取った。 六月末。新生銀行のそごう向け債権を預金保険機構が買い取り債権放棄に応じることで事態は打開されたかに見えたのも束の間、二週間もたたずにそごうは法的処理に行き着く。興銀が早くからこうした「破綻シナリオ」にも備えていたと報道されたことで興銀への不信感も募っている。「破綻」と「再建」を両天秤にかけた、というわけである。興銀側はこれを明確に否定する。「我々はあくまでも私的整理でと考えていました。だが、与党の反発で政治問題化してしまい、残念ながら我々の力の及ぶ話ではなくなってしまったのです」(広報部)。

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