成功者と犯罪者が紙一重の時代

執筆者:喜文康隆2000年9月号

 あっけない幕切れだった。八月二十八日、東京地検特捜部はクレアモントキャピタルホールディング社長の古倉義彦を逮捕した。みずからが大株主である大正生命から「有利な投資先を斡旋する」と称して八十五億円をだましとった疑いである。この三年ばかり、「兜町の風雲児」「若きM&A王」「第二の孫正義」などともてはやされていた男の「フェイク(偽もの)の地肌」は、瞬く間に露わになった。 兜町(シマ)は「成り上がり」の街である。忘れた頃に唐突に“風雲児”が登場、「理外の理」のドラマを演じたのち、やがてフェイクとして相場の闇に消えていく。時として、かれらの毒があまりにも強すぎると、国家権力や既成勢力がよってたかって犯罪者に仕立て上げる。そして、「相場の世界で最後まで生き残る人間はいない」というシマの教訓だけが後に残る。この二十年間でも、誠備グループの加藤あきら、投資ジャーナルの中江滋樹、そして光進グループの小谷光浩など、いずれもマスコミに“風雲児”ともてはやされた面々が、犯罪者として歴史のかなたに消えていった。手口は詐欺そのものだが…… 古倉義彦の登場と今回の逮捕劇も、外形基準でいえば前記三人の物語と似ている。古倉義彦がマスコミの表舞台に登場したのは、九七―九八年にかけての大胆なM&A戦略だった。九四年投資顧問会社TAC(トーキョウ・アソーシエイテッド・キャピタル)の経営権を取得した古倉は、九七年十一月に大阪の証券会社中野証券(現エヌシーエス証券)を取得したのを皮切りに、九八年には兜町の情報紙「日刊投資新聞」、東証第二部上場企業で商品先物取引の会員権をもつ「上毛撚糸」、そして倒産した三洋証券の投資信託会社「三洋投信委託」の経営権をあいついで手にする。一方で東京ブラウスの土地・建物を買い取り、CS放送で相場番組も放送した。

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