世界の元首の料理人の中で、エリゼ宮(フランス大統領官邸)の料理長ジョエル・ノルマン氏は、仕えた歳月の長さでは五指に入るだろう。エリゼ宮に入って三十五年になる今年、「かまどから見た第五共和制」(原題)という本を上梓した。かまどとは、勿論、エリゼ宮の厨房のことである。 第五共和制は一九五八年からスタートしたフランスの新しい政治体制で、初代大統領はドゴール。ノルマン氏は六五年、二十一歳のとき、ある人の紹介でエリゼ宮の厨房に見習いで入り、腕を見込まれて料理次長に抜擢され、八四年、引退した先代の後を襲って料理長に就いた。ドゴール(故人)、ポンピドー(同)、ジスカールデスタン、ミッテラン(同)、そして現在のシラク。第五共和制下の五人の大統領全員に仕えている唯一の料理人である。 元首の料理人の立場で、体験記を書くことを許したエリゼ宮の鷹揚さにも感心するが、食をめぐる大統領たちのエピソードはさて置き、興味深かったのは歴代ファーストレディーたちのエリゼ宮の厨房への関与の仕方だった。 ドゴール大統領夫妻はエリゼ宮を住まいとしたが、三度の食事は料理長に任せっきりだった。まれに休日、イヴォンヌ夫人から「メニューは夫の好きなブイヤベースに」と注文が入るくらい。饗宴があると、夫人は著名なエスコフィエの料理ガイドブックを取り出し、これはというページを示し、給仕長がそれを料理長に伝達した。

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