それでも残るユーゴの火種

執筆者:永田正敏2000年10月号

コシュトニツァ大統領の指導力、コソボ、モンテネグロ。いずれも先行き不透明[ベオグラード発]「ご存じのように外交折衝に忙殺されてしまって……」。かつて六つの共和国から成る「ユーゴスラビア連邦」のトップとして君臨したチトー大統領が執務していたユーゴ連邦政府庁舎の大統領執務室で、ボイスラブ・コシュトニツァ新大統領(五六)はため息をついた。 コシュトニツァ氏の大統領就任後の十月十一日、私はアジアのメディアとして初の大統領単独会見に臨んだ。会見の二時間ほど前、ミロシェビッチ前大統領派のセルビア社会党や、ミリャナ・マルコビッチ前大統領夫人率いるユーゴスラビア左翼が依然として牛耳っているセルビア共和国政府が、コシュトニツァ大統領のセルビア民主野党連合との合意を覆して「共和国政府・議会は(社会党支配のまま)存続する。国営テレビは奪回する」との声明を出していた。 いったいどうなっているのか。社会党は野党連合と、早期解散、十二月の繰り上げ選挙で一致したのではないのか。真っ先にこのことを大統領に質問した。 大統領の最初の回答は「?」であった。事態の急変を知らなかったのだ。冒頭の発言は、こちらが状況を説明した際に出てきたものだ。七日夜の大統領就任から四日しかたっていないとはいえ、新大統領には政治状況が逐一報告されるシステムにはなっていなかったのだ。法的には、連邦大統領は共和国の内政には関与しないことになっているのも事実だが、「平和な革命」(本人の言葉)で実権を握った人物が、実は「最も知らされていない男」(ある野党連合幹部の発言)であることを如実に示していた。

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