住友林業グリーン環境室長の小林紀之は、この一〇年間で二度、同じ森を前にしてショックを受けたという。戦前の日本では「南洋」の代名詞であったボルネオ島の東部、インドネシア東カリマンタン州クタイ県のスブル地区でのことである。 住友林業が取り組む熱帯林再生プロジェクトの候補地決定に際し、小林が現地を訪れたのは九〇年。七〇年代、駐在員として若き日の数年を過ごした当時の緑はすでになく、広大な熱帯林は、焼き畑による無惨な姿をさらけ出していた。「七〇年代後半から経済的な基盤がないままに移民が進められた結果でした。人口圧力に押されて焼き畑は大規模化し、しかも伝統的な焼き畑と違い一年で土地を捨ててしまうなど持続性がない。むき出しとなった土地は、それは無惨なものでした」 二度目は、プロジェクト開始から七年後の九八年三月のこと。エルニーニョによる異常乾燥が続き、東カリマンタン州全域で山火事が発生した。プロジェクト実験林にも飛び火し、報せを受けて現地に駆けつけた小林は、植栽地で育ててきた木々が黒く焼け焦げていくのを目の当たりにする。「すでに弱体化していたスハルト政権は山火事対策よりも治安対策に追われていたため、東カリマンタン州で五〇万ヘクタール、実験林でもそれまでの植栽面積の九割、二七〇ヘクタールの森を失いました。これは天災と人災の複合災害。燃えさかる森を前に涙が止まらなかった」

記事全文を印刷するには、会員登録が必要になります。