森喜朗首相は十二月五日の内閣改造で、宮沢喜一蔵相(元首相)を留任させ、橋本龍太郎元首相を行政改革担当相に起用、さらに自民党の次世代のリーダーたちを閣内に取り込み、重厚な布陣を敷いた。しかし、依然として森首相の早期退陣を求める空気は党内外に根強い。 橋本氏の入閣は中曾根康弘元首相のアイデアとされるが、森首相自身も「あなたは政権をつぶす気か」と必死に口説き落とした結果だ。橋本氏も、野中広務前幹事長が橋本派の副会長兼事務総長に就任し、「野中派」に衣替えしていくのを黙って見ているより、内閣に働き場を求めたのかも知れない。 一方、もう一人の目玉閣僚候補だった田中眞紀子元科学技術庁長官については、橋本派などの反発が強く、首相も断念せざるを得なかった。田中氏は首相をデブと呼び、「失言しなければ、三月まで持つかもしれない」と放言していただけに、野中氏が「政権を批判すれば入閣できるとしたら大間違い。党のために汗をかかない」と批判して、入閣は消えた。 首相は派閥会長として、橋本氏だけでなく、河野洋平外相、高村正彦法相を閣内に入れ、将来の派閥リーダーの平沼赳夫通産相(江藤・亀井派)を留任させ、額賀福志郎経済企画庁長官(橋本派)、町村信孝文相(森派)を起用した。これは内閣不信任決議で反旗を翻した加藤紘一元幹事長、山崎拓元政調会長の「YK飛ばし」といえる。

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