第二次森改造内閣に橋本龍太郎元首相が行政改革担当大臣として入閣したことで、大蔵省が危機感を募らせている。 省庁再編に伴って圧倒的に強化される内閣官房の各ポストを巡っては、各省庁が水面下で争奪戦を繰り広げたが、トップの官房副長官ポストは結局、古川貞二郎内閣官房副長官(昭和三十五年厚生省入省)が留任した。「勝ち」を拾った形になった厚生省は、古川氏の裁定で内閣府の初代官房長にも厚生省出身の江利川毅首席内閣参事官(四十五年厚生省)を押し込んだ。「古川官房副長官は留任する自分への保身で江利川氏を内閣府官房長に据え、情報の集中化を図ったが、これをバックアップしたのが橋本元首相。橋本氏の大蔵省に対する積年の恨みと、古川氏の思惑が一致した」(大蔵省中堅幹部)との見方もある。 が、この古川裁定にとりわけ大蔵省が怒りを募らせ、巻き返しを図っている。大蔵省は、同省出身の宮沢喜一蔵相を初代の財務相に継続就任させ、古川官房副長官の補佐役となる官房副長官補への竹島一彦内閣内政審議室長(四十年大蔵省)の起用と、坂篤郎経企庁官房長(四十五年大蔵省)の経済財政諮問会議の政策統括官への就任に成功した。 一方、三つの官房副長官補ポストを一つも取れなかった通産省は、現在の同省人事に大きな影響力を持つと言われるOBで、産業政策局長を解任された内藤正久・伊藤忠副会長(三十六年通産省)を中心に復権を図っていると見られる。この動きに、任期途中で事実上解任された大蔵省の篠沢恭助元次官(三十五年)も同調しているという。「武藤敏郎次官(四十一年)に裏切られた傷が癒えない篠沢さんが、通産省に肩入れすることで相対的に自分の存在をアピールしている」(通産省幹部)。情報と権限が集中する内閣官房での影響力を行使するため、各省庁は早くも一年後の人事に向け動き出している。

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